らいぶにすらいぶ

2014年3月23日日曜日

書くか

1978年にUFOを東京の足立区で目撃しています。

どおういうわけか、一緒にいたおじさんは見えませんでした。

その後、胸当たりに何かがインストールされることが起き、

すさまじい衝撃がありました。

それから周囲の人からいじめとか、いやなことが連続であり。

耐えるだけ耐えて、もう限界というときに、もっと楽と思える場所へ移動。

それがまた忍耐に。

その忍耐の最中に落語が好きになり、

じゅげむを覚えます。

自己表現をしだしたと言うか。

その後、よくわからない理由で無料の舞台で立つのが自動で起きるような、

変な立候補をある劇団の観劇でしてしまい、

その後、小学校の学芸会で悪役の主人公役をして、変な目立ち方をしたり、

(ラボ・パーティーで英語と日本語で劇とダンスとか習っていた。3年ほど))

内気の割には、大舞台とかが好きで、

後は本番に強い。

受験もその予行演習の方がしんだかったし、

受験本番は勉強したものよりも試験のほうが簡単だったと言うことが。

人事を尽くして天命を待つを実行。なぜかこの言葉が勝手に出てきた。

そこでもいじめにあうけど、耐えつつも反撃の選択ができるようになる。

結果的に自信につながり、毎日、走ることで忍耐力を強化したことが幸いで、

苦痛の中でも選択しだいでは、その環境が己の強化に使えると面白い発見をする。

おかげで副産物として、体育1が3になり、体育が好きなったな^^¥

就職がだめになり、父の起業のときに建築関係でいきなり専務さんとか(現場で営業トークを開発する))

その応用で、宗教の飛込みが楽になるとか・・・ 忍耐の値が普通の人の倍くらいは常時あったな。

で、現場の職人さんとか宗教の皆さんは、びっくりして、なんか伝道では準備をした話が(即席の話)

がおうちの人に大好評とか、おうちの人の家庭内の問題を3時間も聞くとか、

その後へろへろひろになるのに、家でゲームで遊ぶとか、

なんか今思い出すと、普通の人とは違う桁違いの忍耐力があったよ。

もしかして、あなたもUFOと遭遇して、その後のいじめで限界値があがり、

変人として生きた体験をお持ちかい?

なるほど。

よくきたな。

歓迎するよ。

なんかさあ、

UFOの大編隊を見ても懐かしいような当たり前のものを見る感覚なんだが。

俺は艦隊指令だったのかな。

ブログを艦隊と表現して部隊を動かす快感は、

自信を上げるとともに、爽快な思い出を思い出したのだ。


キーラ・武道

 そのときの名前らしいが。

 誰か知っているか?

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